インプットとアウトプット

 ヨーガ講師を始めて12年経ちますが、ただ同じことを繰り返すのではなく、まだまだ学びたいことがあり、その必要を感じることがあります。

 これまで私は自分が受ける様々な修行や講義などでインプットされるものと、自分自身の瞑想やヨガのレッスンなどを通じてアウトプットするもののバランスを意識してきたつもりでいました。それでも、いつの間にか、そのバランスがいつのまにか曖昧になってしまいそうになります。このことはヨーガ講師としてだけでなく、色々なことにも繋がるかと思い、今日はその話。

 

 

 さてインプットとアウトプットといえば、入力と出力という意味で、様々な分野で使われている言葉です。「入る」と「出る」ですから、通常使用される時には対義的に、または少なくとも時間的に違う局面を指し示すものなのでしょうが、私はヨガにおいては、インプット≒アウトプットのように感じています。つまり切っても切り離せないものという以上に、ほぼ同じことを別な角度から観ているのかもしれないと思っています。

 それではインプットとアウトプットの「同じこと」は何なのでしょうか。

 

 インプットの場面でいうと、例えば「目からウロコ!」と思えるような話を聞いても、そのままにしておくと忘れてしまうのは私だけではない様に思えます(いや、むしろそう信じたい ー 笑)。

 これに対して忘れない様にするためにも、単に耳学問として「聞く」でなく、インプットとはいえ、積極的に自分自身に落とし込んでの解釈を通じて関わることが大切です。ここでインプットした内容を、何回か実践していくと、明らかにインプットの質が変化してきて、いくら出力しても同時に入力も行われている気がするのです。「身についた」状態と言えるかもしれません。

 

 またアウトプットということでは、単にインプットされた内容を右から左と、他の方に、お見せする、お伝えするというだけではなく、自分自身のアウトプットとしての実践も含まれるでしょう。

 実践の方法は、まずは自分でやってみる、話をしてみる、文章にする。など方法はいろいろあると思います。もちろん皆さんが御自宅で独りで行う瞑想も大きな実践であり、アウトプットです。

 

 

 にちにちヨガで行う、ヴェーダ瞑想も智慧の言葉を聞いて「いい話!」と終わるのではなく、その智慧を元に自分を調べて自分で気づいていく(理解する)という伝統的な瞑想法です。自分で気づいた事は、日常に必ず繋がります。繋がるとそれがまたインプットになります。

 この様にみていくと、ヨガなど場合によってインプットもアウトプットも実践と一体のもの、ほぼ同じものであると思います。ですから実践のないインプット、アウトプットが、身につきにくいものでしょう。

 

 

 食べ物でも、そんな「実践」に遭遇します。

冬の修行会で頂いたミルク粥が美味しくて作って下さる方に作り方を聞きました。

修行会から帰宅して、忘れないように早速、ミルク粥を作りました。

自分なりにアレンジをしながら、何回も作ったので、すっかり我が家の定番料理の1つです。

 

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